思考の航海誌
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今月の航海誌



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 日々の航海誌を記述中に気づいた、今後考えたいテーマなどを備忘録として記します。

001宇宙創造の最後尾

 私たち人間は「宇宙創造の発端部分に属しているのではなく、その最後に属している」(シュタイナー)
 この言葉は色々な示唆に富む。
 私たちは宇宙の始まりを一点に求めるという傾向があること。
 私たち一人一人の今ここが、宇宙の最後尾に位置していること。
 同時にこの宇宙の最後尾が続く未来の出発点になっていること!! 70億の出発点

 私は一度に一つのことしかフォーカスできない(一時一事)ということが、これまで、何か能力の限界や欠点であるような気がしていた。 しかし、宇宙の最後であり始まりであるということを考えると、この局所的な「一点」性に、何か意味があるような気がしてくる。

【参照】 1/2

002層(レイヤー)

 単なる異なるものの重なりではない。
 階層、階級・・・
 人工物に見られる層の断絶性(椅子と椅子の素材には必然性はない)に対し、自然物の層の密着性。

【参照】 1/6

003(教)育

 「方法」を手軽にインスタントに身につけよう、あるいは、人に教えようという風潮への疑問。
 教えない教育
 技術と芸術
 共に学ぶ

【参照】 1/7

004他者

 自己にとって他者とは何か。
 単にサービスの提供者として、機能として、存在しているか?
 自己に感じる中心性を他者の中に感じ取ることが可能か?

【参照】 1/8

005暗黙

 意識のスポットライトは一度に一つの事柄しか当てることはできず、スポットライトを当てる位置を変えるとそれまで、意識されていたことは、暗闇に沈む。しかし、その暗闇は無の暗闇ではない。もし、完全に忘れ去られていくなら、私たちはまとまった文章を作ることはできない。意識の外でありながら、今の意識を支えている。
 まるで、スポットライトの光を浴びているスターではなく、スポットライトを操作している黒子のように。
【参照】 1/11

006区別と関係

 概念は、少なくともその概念とその概念に該当しないものを区別する。通常は、名前を与えられて取り上げられた概念が説明されるが、その概念が取りだされた後の背景に焦点を当てる必要がある場合がある。そして、ふたつに区別された「図(概念)」と「地(背景)」の関係性を考え、さらに、そのふたつに分ける観点、基準という、通常は私たちの内側に隠された動機や目的についても考える必要があるだろう。そのような概念を持つことによって私たちは何をしようとしているのか・・・
 互いに区別され、分けられた概念を、私たちは放っておくことはできない。その区別されたものの間にある関係を発見しようとする。

【参照】 1/13

007感覚と疎外

 感覚について考えてみると、私の中に所与として与えられる感覚は、生理的には私の身体の反応であり、論理的にも私がその時その場に居なければ生じないものであるから、感覚には「私」自身が含まれていると言える。しかし、イメージが生じたときには、その感覚は対象の側へと押しやられ、私と対象との間に距離ができ、私と対象は互いに孤立したものとなる。
 ただし、痛みは他の感覚と異なる。例えば赤という色彩感覚は、「赤い物」としてイメージされた対象の属性として感じるが、痛みは、いつまでもこちら側に留まり、自分の属性として感覚する。

 他者の痛みを感じることの意味について、考えること。

【参照】 1/14

 感覚はイメージになったときにイメージの属性となって対象の側に押しやられ、対象と私との間に間(ま)を作る。感情は、そのような対象と私との間合いを詰める。

 感情には、その対象を肯定する働きの感情と否定する感情がある。肯定的な感情は、対象との一体化を望み、その対象の傍に常に居たいという欲求を生じさせる。否定的な感情は、その対象から遠ざかり、もし、遠ざかることが不可能な場合、その対象を消し去ろうとする。このように対象を遠ざけようとする否定的な感情であっても、感情が生じずイメージを見つめる時とは異なり、対象との間は非常に近いと言えよう。感情の強さはその間合いの近さを物語っている。

【参照】 1/15

008リクエスト

 リクエストは、自分がリクエストを受けた時には自由を束縛されるように感じ、他者にリクエストをしたときには、他者がリクエスト通りに動かないことに関して怒りが生じたり、とかくトラブルの種になる。しかし、リクエストは喜びをもたらすものでもある。子供が大人から何かを頼まれてそれを得意気にする光景が目に浮かぶ。誰からもリクエストが届かない人生は味気ないだろう。そもそも、他者に言葉を投げるということも、その言葉を受け取ることをリクエストしている。
 どのようなリクエストが喜びをもたらし、どのようなリクエストが軋轢をもたらすのか・・・

 そのリクエストの文脈で重要なのは、@誰からのリクエストかという要素であり、A次に、そのリクエストは何のために出されたのかという要素であろう。リクエストを発した人物をよく知り、リクエストの目的をよく知っていれば、ときには、そのリクエストされた内容とは異なる行動をとっても、目的を達成し、リクエストを発した者を満足させることができる。

 リクエストは、意志の一部であり、意志はリクエストに従った行動が引き起こされるまで、基本的には継続している。
 リクエストは、言葉の背景である文脈を離れては成立しないから、基本的にはその場限りのものである。しかし、リクエストが永続している例、例えば、法律、ルール、規則といったものはどのように考えるべきか。

【参照】 1/17